Paraglider Pikaichi

空を飛ぶ趣味を「パラグライダー」で叶えたPikaichiと仲間のサイトです

パラグライダー回顧録(2.私の講習生時代)

time 2014/10/24

パラグライダー回顧録(2.私の講習生時代)

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初登校

1991年11月に入校したのですが、その日がスクール最終日だったこともあって、実際にスクーリングに入ったのは翌年1992年4月から。
当時のスクールカリキュラムを説明すると、

  • 初心者コース:ベーシックコース(JHFのA級技能証取得)
  • 高々度コース:マスターコース(JHFのB級・PILOT技能証を取得)

と言うもので、ベーシックコースで地上練習とショートフライトを練習します。このコースを卒業すると、マスターコースに入って高々度フライトが出来るようになるのです。

JMB立山パラグライダースクールは、アエロタクトのJMB系列スクールでした。このJMBと言うのは、「ジャン・マルク・ボアバン」の頭文字をとって命名されたそうです。パラグライダーの草創期から普及に努め、アエロタクト社・半谷さんの師匠と言う話だったように聞いていますが・・・さて、どうだったか?

IMG_1828

当時のスタッフは、校長の扇澤さん(マスターコースを担当)、関沢さん(ベーシックコースを担当)、マコさん(アシスタント?)の3名。パラブームの後半とは言え、それなりにスクールは賑わっていたように思います。Pikaichiが初登校した日は4月の第1日曜日でしたが、寒の戻りで時折みぞれも混じる寒い日だったと記憶しています。この日スクールには扇澤さんとマコさんの二人だけで、Pikaichiのコース担当となるはずの関沢さんは不在でした。聞くと、JMBグループのイントラ講習の一環でスイスへマニューバ講習に出かけているとのことでした。

当時の扇澤さん

マニューバって

今でこそ「マニューバ」って言葉は何を意味するのかわかりますが、当時は理解を超えた話でした。聞けば、レマン湖上空でパラグライダーの翼を潰したり失速に入れたりして異常飛行状態を作り出し、その挙動と回復操作を習得するのが目的なんだそう。コワそう〜・・・。さらに、レスキューパラシュートを開傘してレマン湖にドボンする訓練も含まれているらしい。イントラさんも命懸けですね。でも、こんな昔からそのようなことに取り組んできた姿勢と言うのは、今更ながら素晴らしいと思いますね。教える人がしっかりした知識と技術を身に付けるのは当たり前ですが、それがなかなか実行出来ないと言うのが世の常ですから。

今だから言いますが、実はPikaichiがパラグライダーを選択した理由の中に大きな勘違いが含まれていたのです。
パラグライダー自体がパラシュートなのだから、危険な状態に陥ることなどないと言うのが当時の理解でした。この考えは、一般の人たちにはごくごくスタンダードな考えでした。パラグライダーを飛行機として認めていなかったのかもしれませんね。
実際には、機体が潰れて回復せずに落ちて行く・・・などのリスクがある訳で、そのためにレスキューパラシュート(当時は何故か”セカンドチャンス”を略してセカチャンと呼んでいました)を装備しているのですが・・・。

雨の日のスクールで初登校。これと言ってやることもなく、扇澤さんの話やパラ関係のビデオ(当時はパラメーカー作成のプロモーションビデオがスクールにはたくさん置いてありました)を見て時間が過ぎて行きました。講義と言うものもなく、ただ何となく?時間が過ぎて行きました。

IMG_1838

飛べない日々

この年の4月は天候が不安定で、いつも週末になると雨でした。機体に触って練習しないと何も始まらないのですが、なかなかそれをさせてもらえませんでした。

立山での講習は、午前中に山野講習バーンで立ち上げの練習をします。午後からは粟巣野講習バーンでショートフライトを行います。練習出来そうな天気の日でも、講習生がたくさんいるので講習機の順番がなかなか回ってきません。当時は、講習機1機を3人くらいの講習生が共同で使っていましたから、誰かが練習している時は休憩するか見ているか・・・になってしまいます。立ち上げ練習の時はそれでも良いのですが、粟巣野のショートフライトでは順番が回ってこなくてストレスが溜まります。この粟巣野は、実はあまり良い風が入らないので待ち時間が長いんですよ。飛びたくて仕方なかったPikaichiにとっては、何とも不便なシステムでした。これもあって、後に先輩パイロットから中古でイーデル・コーニッシュを買うことになるのですが。

山野講習バーン

粟巣野講習バーン

ところで、関沢さんの講習は結構厳しかったですよ。でも、当時からグラハンが抜群に上手かった。イントラだから当たり前かもしれませんが、当時の機体で片翼折りをするなど曲芸師の域でした。なので、関沢さんの言うことは一応?聞いていましたよ。

当時の関沢さん

とは言ってもPikaichiは立ち上げ練習が嫌いでしたから、同期が多い(10名くらいいました)のを良いことにかなりサボってました。でも、ショートフライトは楽しいので天気の良い日は会社を休んで練習に行ったりもしていましたね。ホントに飛びたくて飛びたくて仕方がなかったのを思い出します。

このベーシックコースを3ヶ月で卒業し、8月からはマスターコースに入って高々度飛行が出来るようになるのですが、それはまた後述しますね。

 

パラグライダー回顧録(1.きっかけ)←・→パラグライダー回顧録(3.立山ゴンドラカップ)

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コメント

  • 楽しく読んでいます。まこちゃんも覚えています。練習の場所はもしやパラダイスの上ではないですか?

    by 東直 €2014年10月29日 8:50 PM

  • 東さん、コメントありがとうございます。
    私は残念ながら比較的新しい世代でして(笑)、山野と粟巣野で練習しました。第3ゲレンデの方々はもっと先輩方ですね。

    by pikaichi €2014年10月29日 9:18 PM

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管理人

名前:Pikaichi

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1992年にパラグライダーを始めて20年以上飛んでいます。 立山エリアをベースに、「Tateyama Team-C」のメンバーと共に全国の競技会に出かけています。

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