Paraglider Pikaichi

空を飛ぶ趣味を「パラグライダー」で叶えたPikaichiと仲間のサイトです

パラグライダー回顧録(8.SPACEと怪我)

time 2014/12/02

パラグライダー回顧録(8.SPACEと怪我)

 

高高度を飛び始めてから15本目くらいでソアリングを始めました。

これも、前回言った諸々の先輩方が「金山に行け行け!!」と言う悪魔?の声と、「行ってみたい」と思う自分の悪魔?の心が合致して実現したことですが、その時は扇澤さんも無線で誘導して初ソアリングをサポートしてくれました。

そして18本目で初ツリーランも経験してしまい順調?に経験値を増やしていったPikaichiでしたね。

sponsored link

SPACEに乗り換え

コーニッシュでソアリングも始めたPikaichiは当然の如く新しい機体への興味が湧きます。

何しろ中古の機体ですしモデルもかなりの型遅れ。このタイミングで発表されたのがEDELの「SPACE(スペース)」と言う機体でした。

扇澤さんからも強力なプッシュがあり、特に断る理由もなく乗り換えを決めたのでした。

スペース

Pikaichiが乗っていたのは写真のモデルとは違って、機体にEDELロゴも何もない初期ロットで色はピンクでした。

この機体は今で言うところのEN-Bクラス程度の安全性ではなかった?と思います。ACPUL11A1Bか10A2Bくらいだったと思います。

初おろしの日

注文したSPACEがスクールに入荷し、喜び勇んで飛びに行ったのは忘れもしない1992年9月4日(金)のこと。お盆に仕事をしたため代休を1週間取得していた最後の日でした。

朝に機体を受け取って、ゴンドラ山麓駅横でチェックを兼ねた立ち上げ練習。この時ライザーに付いているラインがおかしいことに気付きました。Bラインの1本とCラインの1本が交叉して付いていました。

今では信じられないと思いますが、当時こんなことはままあることでして、インテークの中に韓国スーパーの袋が入っていたと言う話も聞いたくらいです。

すぐにラインを直してテイクオフへ。人も少ない平日でしたから、何故か展望台テイクオフへ行きました。

展望台テイクオフ

展望台テイクオフは標高1170mで極楽坂よりも100m高く、出て左側には五色のサーマルポイントがあるためソアリング確率が高いテイクオフとして人気がありました。

このテイクオフは当時ゴンドラスキー場を管理・運営していた富山県企業局がパラグライダー専用離陸場として整備した場所。その時の新聞記事もスクラップされていました。

IMG_1827

Pikaichiはここで新しい機体「SPACE」を広げて準備しました。

風は微風から無風。まだまだ20本程度しか飛んでいない練習嫌いなPikaichiは、初めての機体でいきなりのスタチン。そして2回目もスタチン。

しばらく休憩して挑んだ3回目でそれが起きてしまいました。

機体がちゃんと頭上に上がって来たのですが、焦っていたせいで飛び乗ってしまったのです。

当然の如く機体は前方にシュートし遅れて体が追随しますが、不幸なことに斜面から最初の平らな場所(現在はマットが敷いてある)の排水用のU字講に右足首を突っ込んでしまいました。そしてそのままスタ沈・・・。

足には激痛が走りましたが、「捻挫かな?」くらいの気持ちで再度機体を広げ直してテイクオフを試みる準備をしました。すると、機体に何故か拳大の石ころが入っていました。これがスタ沈の根本原因でしたが後の祭りです。痛い足を引きずりながら4度目のテイクオフを行なって無事空中へ飛び出すことが出来ましたが、ランディングは足を庇って片足で・・・。

パラシューズの中の右足はパンパンに腫れて尋常ではない状況だとわかりました。

結局、この後病院へ行って検査をした結果「剥離骨折」と診断されて1ヶ月を棒に振ることになりました。

嫁さんのお腹は臨月で大変な時期に怪我をしてしまい、家族にも多大な迷惑をかけてしまいました。今も語り草になっております。

それでも飛びたい

展望台で怪我をするパイロットはPikaichiに限らず居たこともあり、安全管理委員会やクラブで協議した結果タイヤとマットを敷くことになりました。フライトに上がるパイロットは最低一人2本ずつタイヤを持って上がり、展望台まで運ぶのがしばらくの間の任務となりました。

怪我をする根本原因は言うまでもなく「技量不足」に尽きると思いますが、まだまだ飛ぶことが優先でテイクオフは「出られれば良い」と言う発想も残っていた時代ですから、「練習しよう」と言う機運もなくはなかったもののスタチンした時の環境整備が優先されたのでしょうね。

それでも事故は無くならず、展望台テイクオフを使わせない方向に誘導するため、後に設定されるゴールドパスのスタートを極楽坂テイクオフに限定したり、みんなで極楽坂テイクオフをメインテイクオフにするように啓蒙したりしたのです。もちろん、それだけでは根本的な解決にはなりませんから、技術向上のための努力もしたと思います。その甲斐もあって、展望台での事故はほとんど無くなり現在に至っています。

で、怪我をしたPikaichiはどうなったか?と思いと言いますと、

  • 2週間で会社に行く
  • 3週間でギプスを外す
  • リハビリ開始
  • 4週間で階段を1段ずつ飛び降りてランディングの衝撃に耐えられるか検証する
  • 5週間でパラに復帰し飛ぶ

と言う感じでした。怪我をしたのは残念でしたが、ここに書いたほど反省していなかったと思います。(苦笑)

ただ飛びたいだけだったと思いますね。

 

パラグライダー回顧録(7.玉石混交のアドバイス)←・→パラグライダー回顧録(9.我がバイブル!PARA WORLD!!)

sponsored link

down

コメントする




日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

管理人

名前:Pikaichi

名前:Pikaichi

1992年にパラグライダーを始めて20年以上飛んでいます。 立山エリアをベースに、「Tateyama Team-C」のメンバーと共に全国の競技会に出かけています。

おすすめコンテンツ

保存版コンテンツ

立山山麓の今

カテゴリー

カウンター

  • 128587総閲覧数:
  • 103今日の閲覧数:
  • 67335総訪問者数:
  • 55今日の訪問者数:

にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村


sponsored link