パラグライダー回顧録も9回目。
今回は、1992年当時の我がバイブルだった雑誌「PARA WORLD」についてです。
※写真を掲載しますが、もし差支えがあればご連絡下さい(イカロス出版さま、サトユキさま)
1992年7月号から買っています
現在ももちろん発売されていますが、イカロス出版株式会社が発行しているパラグライダー専門誌である「PARA WORLD」。
Pikaichiは1992年の7月号からずっと買っています。
定期購読はしていなかったので、毎月書店へ買いに行ってました。
が、それ程メジャーな雑誌ではないので、入荷するのはせいぜい5冊くらいで、さらに3冊が取り置き(毎月買う人のため)だと言うことで買えないこともしばしば。
富山県中の書店を探し回ったこともありました。
(写真は一部です)
情報はこれしかなかった
パラブームであったとは言え、情報収集するにはこの雑誌しかありませんでしたね。
この雑誌を読んで、「ワールドカップが北九州で開催されているんだ」とか「パラのメーカーはこんなにたくさんあるんだね」などと思ったものです。
ちなみに当時の雑誌はB5版サイズで月刊誌でした。
毎月同じ場所に掲載された広告
「PARA WORLD」の表紙をめくると・・・必ずそこにある広告。
「ファルホーク」と「ジオスポーツ」の指定席でした。
PikaichiはJMB系列でしたので、これらメーカーの機体を直接目にするのは「立山ゴンドラカップ」などの大会の時ぐらいでしたが、とにかく他メーカーの機体も研究しました。
今でこそ当たり前の技術ですが、ファルホークのスランテッドリブはダイヤゴナルリブと同じテクノロジーでした。
ただ、それを上手く使えていないだけだったのかな?と思いますが。メッシュリブも興味をそそられましたね。
ジオスポーツが扱うプロデザインの「チャレンジャーコンペエコ」も、当時のコンペでは目立つ存在でした。
校長先生が載ってます
そしてこの7月号には、なんと扇澤さん(当時はJMB立山パラグライダースクール校長)がインドに行った記事も載っていました。
記事によると
「インド政府観光省より日本ヒマラヤ協会を通じてパラグライディングエリアのリサーチ依頼があった」
と書かれています。そのメンバーとして扇澤さんも同行していたのでした。
写真右側が扇澤さんです。若いですね(笑)
提灯記事みたくなりましたが・・・
ちょっと宣伝めいてしまいましたが、今もずっと続いている雑誌「PARA WORLD」は、私にとって現在も重要な情報源です。
残念ながら隔月となってしまいましたが、これからも身近な話題や世界の情報、有効なツールや機材の話題などを提供いただけることを期待しております。
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