マスターコース入校
1992年7月下旬、Pikaichiは初心者コースである「ベーシックコース」を卒業しました。そしてパイロット証を取得するためのコースである「マスターコース」に入校したのです。このマスターコースは機体所持者が対象となっていましたから、機体を持っていない人は購入することになります。Pikaichiは中古のコーニッシュを持っていたので即入校できました。担当インストラクターは扇澤郁校長です。
高高度を飛ぶためには「入山簿」に記入しなければなりませんが、当時の立山エリアではスクール事務所内(現在と同じ「ふじ食堂」)に入山簿を置いていませんでした。どこにあるのか?と言うと、極楽坂スキー場の「スキーセンター」内に置いてありました。そのため、パイロットもスクール生もスクール事務所に行く前にスキーセンターに寄って入山簿を記入し、それからスクール事務所へ行くと言う行動パターンだったと思います。
初飛びの日
初飛びの日は、朝にミーティングが行われて準備をします。フライトコースの説明や操作の確認、誰がテイクオフでサポートしてくれるかなどをその場にいる人たちと一緒に決めて行きます。まだまだスクール生が大勢いた時代ですから「初飛び」と知るとみんな激励してくれましたね。同期よりも少しだけ早くマスターコースに入校できたこともあって、少し自慢したい気分でした。
当時のスクール生は極楽坂テイクオフから出て極楽坂ランディングに降りると言うフライトコース。ゴンドラランディング(現在のらいちょうバレースキー場のランディング)はパイロット限定とされていたので、誘導を担当する扇澤さんは極楽坂ランディングに常駐していました。
フライト概要
テイクオフして真っすぐに「サーマル山」へ向かい、そこで誘導されながら左右の旋回や360度旋回の練習をしながら高度を処理します。ある一定の高さになるとランディングへ進入して降りることになりますが、サーマル山の極楽坂ランディング側に1本だけ目立つ木が立っていて、「その木の3倍の高さになったらランディングに入ること」と教わりました。もちろん、初飛びの場合は「フル誘導」ですから完全な「リモコン」状態で飛ぶので考える余裕はありませんでしたが・・・。
当時の極楽坂テイクオフはこんな感じでした
いざ!初飛び!!
テイクオフでは先輩パイロットがセットアップを手伝ってくれました。全ての準備を済ませて無線で連絡します。
「マスターコース初飛びの藤野です。機体はコーニッシュです。よろしくお願いします」
無線連絡のルールは、自分の名前とフライト本数、機体の名前を言うことになっていました。扇澤さんからOKが出たのでフライト開始です。出るとすぐに無線誘導が始まりますが最初は真っすぐにサーマル山へ向かうだけなので、比較的落ち着いて飛べたのを覚えています。サーマル山に着くと、左90度旋回や右180度旋回などで機体の操作を練習しながら高度を処理して行きます。
「そろそろランディングに入ってこよう!!」
と言う声に応えて極楽坂ランディングに向かいます。風向きを確認しながら進入して無事にランディングできました。とても嬉しかったですね。あの時のことは今もしっかりと覚えています。きっと皆さんもご自分の初飛びは覚えているでしょう?
憧れのゴンドラランディング
フライトを終えると2本目に向かう訳ですが、ここからスクール生の試練?が始ります。スクール生は極楽坂、パイロットはゴンドラに降ろすルールでしたので、飛ぶ毎にゴンドラランディングまで歩かなくてはなりません。歩くと15分くらいはかかりますし、極楽坂からゴンドラまでは結構な上り坂なのです。さらにヘリポートを越えた辺りが最も急坂で、この頃の装備でも登るのが苦しくてスクール生の間では「心臓破りの坂」と呼ばれていました。
ですので、早くパイロットになってゴンドラへ降ろしたいと強く思いました。それがモチベーションにもなりましたね。また、極楽坂のターゲットに降りるとゴンドラまで帰る道まで登らなければならないので、誘導がなくなった(Pikaichiは2本目までは誘導してもらえましたが、それ以降は「藤野さんは自分で操作できるので大丈夫です」の一言で野放しになりました・・・)頃から道の近くに降ろしてパッキングし、少しでも楽ができるように行動していたのを覚えています。
それでも、8月の暑い時期に1日最高7本飛んだこともありました。
そんな訳で無事に「初高高度」を終えた訳ですが、パイロット証取得まではまだまだ道のりが長いです。それと、この後嬉しいような残念なような出来事が起こるのですが、確か秋頃からスクール生も全員ゴンドラランディングに降りることになりました。歩かなくて良いのは嬉しいのですが、「あの暑い夏に汗ダラダラで歩いたのは何だったんだ!」と思ったのと、秋にマスターコースに入った人たちは「いきなりゴンドラランディング」だったので意地悪ですけどちょっと妬ましかったです。
これでようやく「フライヤー」としての一歩を踏み出すことができたPikaichiでした。
パラグライダー回顧録(6.高高度初飛び)2 thoughts on “”
私がパラグライダーで飛ぼうと決意した場所がここ、極楽坂です。
五百蔵さんのテイクオフを見たときが、「俺も飛ぶぞ」と決意した瞬間です。
三森さん、いつもコメントありがとうございます。
そうだったんですね。
これからも懐かしい場面を織り交ぜて回顧録を書いていきたいと思いますので、私の知らないことがあったらコメントで教えてくださいね。