パラグライダー回顧録も10回目。
今回は、私がやらかした無謀なフライト第1弾。
※かなり久しぶりな更新になりました・・・
写真は左がPikaichi、右が関沢校長
冬のフライト
1992年12月。立山山麓スキー場の山頂付近にはうっすらと雪が積もっているある日、Pikaichiを含めて数名のパイロット(PikaichiはまだB級だった)がフライトするために上がりました。
当時はゴンドラさえ動けば飛ぶと言うのが当たり前の時代で、若干南っぽい条件にも関わらずいそいそとゴンドラに乗り込んだのでした。
校長の扇澤さんは大会か何かで不在で、代わりに現校長の関沢さんが高高度フライトの管理をしていました。この時のメンバーは私、M田(勲)さん、M越さん、Sさん、他に2名ほどいたような気がします。
ゴンドラを降りると山が鳴るほどのフォロー。ハッキリ言って爆風です。山頂付近の積雪はおよそ20cmくらいだったでしょうか。
それでもみんなで極楽坂テイクオフまで歩きました。飛ぶ気満々です。(笑)
やっぱりフォロー
極楽坂テイクオフに着いた頃はまだフォローは弱かった。とは言え、南の風で3mくらいだったでしょうか?
パイロットが2名ほどフォローをついて出て行きます。機体の動きを注視しますが、どうもフツーに飛んで行きました。無線でも「何の問題もない」と報告が入りました。
※この「何の問題もない」と言うのが曲者で、判断基準はその本人の感覚のみ
大丈夫と言う報告に勇気づけられた(苦笑)私たちは、フォローの中いそいそと準備を始めました。
私が準備を始めた頃からフォローがどんどん強くなって来ました。機体をセットしてもセットしてもインテーク側から巻き寿司のようにクルクルと機体が自分に向かって飛ばされて来ます。
仕方ないので、インテーク側(リーディングエッジ側)に雪玉を作って重石にしてセットアップすることにしました。
ダマしで飛ぶ
さぇ、とりあえず準備が出来ました。
しかし、風はやっぱりフォロー。M田さん、S谷さんは出るつもりはなさそうな雰囲気で、私のサポートをしてくれていました。
フォローが弱いタイミングを待ってチャレンジしますが何度か失敗。その時に止める決断をすれば良かったのですが、完全にフライト決行モードの私は「何としてでも出る」と言う思考になっていました。
そして、ダマシのアゲンストでテイクオフしてしまったのです。推測でしかありませんが、フォローは5mくらいだったのではないでしょうか?
何が起きたか?
テイクオフした直後に垂直上昇。バリオがけたたましく鳴りました。と思ったらいきなりテンションが抜けて機体が全部潰れました。ローターに入り翻弄されてしまったのです。
当時の機体では安全なACPUL10A2B(今のDHVで言えば1-2くらいか?)のEDELスペース(SPACE)なので、潰れた後の回復力に助けられてそれ程落下せずに通常滑空に戻りました。
が、クワッド降り場手前で再び上昇しタッキング(全潰れ)。そして落下。この時さすがに地面を見ました。おそらく積雪は5cmほど。対地高度は100mくらいでしょうか?
「落ちたら助からないだろうなぁ」
などと考えていると今度も機体は無事回復。
ここで関沢さんから無線が入り、何とかサーマル山の前までブレークを当てて(迎角を上げて)飛び、事なきを得たのでした。
テイクオフに残った数名はゴンドラで下山したのは言うまでもありません。(笑)
第一の転機
これが私(Pikaichi)にとって一つの転機となり、自然への畏怖と自然の中で遊ぶスポーツである以上、もっと観察し学習する必要性を感じました。もちろん、飛ばないと言う決断を行なう重要性も痛感したのでした。
当たり前のことなんですが、飛びたいと言う気持ちはいつも危険やリスクを低く見積りがちになってしまいます。
事故が起きなかったのは必然ではなく偶然なのです。それを身をもって体験した出来事でした。
みなさんも、似たような経験はないですか?
飛びたい盛りにありがちな出来事ですから、バカなヤツと思って反面教師にして下さいね!!
パラグライダー回顧録(9.我がバイブル!PARA WORLD!!)←・→パラグライダー回顧録(11.昔のファントムってどんな機体?)