動き出したプロジェクト・・・
曳山まつりで参加を決めたプロジェクトチームは、早速構想の具現化作業に入った。モデルとする曳山は、委員長である小林や恵子の地元である新湊市のものを採用した。これには理由がある。曳山を製作する以上中途半端なものは出来ない。また、メンバー自身が曳山についてあまりに無知であった。そうした現状がある以上、地元のツテを利用して曳山やまつり自体に関して情報を収集する必要があった。恵子と小林は、自らの人脈を最大限に生かし情報を収集した。
モデルとなった新湊の曳山まつりの様子
曳山は昼と夜では装飾が違う。夜はちょうちん山車になる。構造や形、見た目を考慮し、製作はちょうちん山車に決定した。サイズは実物のおよそ3分の1としたが、それでも地上からの高さは2.6mの計算になった。
更に重要な問題は、「最も荷重のかかる車輪と車軸をどのように作るか」と言うことだった。飛ばす以上は重量も考えなくてはならない。当然機体はタンデム機(二人乗り)を使うが、パイロット1名と曳山の重量で大人2名分の重量を超えることは出来なかった。過去の出し物で、曳山に形状が似ているのは「獅子吼だってねぇ!すし食いねえ」の回転寿司。重量が重そうなのは「筑波のがまがえる」の70Kg。以上のことを踏まえ、曳山の目標重量は70Kg以下とした。
そして、曳山に乗るパイロットを決めなければならなかった。過去2回のスカイフェスタでは、スクールのイントラである恵子がパイロットを務めていた。昨年は校長の関沢孝之氏も飛んでいた。みな尻込みしたが、今回の企画を総合的にプロデュースする立場であった藤野は、マンタから曳山に変えた責任も感じていたため、自分がパイロットになることを決意した。
難問山積
製作に入るため材料調達に入った。委員長の小林は、廃棄される自転車を調達した。これは曳山の車輪に使われる。森田孝一氏は、仕事で出た廃材の木材を大量に調達した。今回の曳山の大部分は、この木材が使われることになった。某大手アルミメーカー勤務の稲美は、アルミ製の建材を調達した。軽量化を考えた場合、このアルミ製の部材は貴重だった。それ以外のものは、基本的にホームセンターなどで購入したが、調達時の最大の問題は大量に必要な「ちょうちん」だった。
設計段階では、ちょうちんは前後で40個、左右で48個の計88個使用することになっていた。当初、100円ショップで調達可能とタカをくくっていたが、いざ出向いてみるとそれ程大量に調達することは不可能だった。ホームページで調べてみるが、単価が高く手が出せなかった。メインのちょうちんがなければ曳山は出来ない。プロジェクト最大の危機だった。
材料調達に貢献した森田氏(上)と稲美氏(下)
一方で、本体製作においても問題が発生していた。資材調達は出来たものの、稲美が調達したアルミ建材が届くのが週末になってしまうのだった。基本的にはそれまで待って、材料を全て把握した時点で詳細な設計に入る予定であったが、今回の製作においてそのほとんどを一人で手がけた関沢は、業を煮やして森田の集めた材料で製作を開始した。
今回の最大の功労者であった職人関沢氏(写真上の右)と、スクール横に仮設された関沢工房(下)
7月に入り、懸案だったちょうちんの大量調達も目処がつき、職人関沢の手によって着々と製作は進行して行った。また、実物の曳山を見せてもらうと言う話もつき、恵子が曳山の写真を撮影し、それを参考に細部に至る装飾を検討することになった。
職人たちのこだわり
曳山の大まかな寸法は、長さが180cm、幅150cm、高さが250cm程である。フレームは木製で、縦に3本の木材を渡し、同じく木製の車軸で全体を支える構造になっていた。これは、強度の面からもそうだが、フレーム部分をある程度重くすることで、飛行中の重心を下げて安定度を増すための設計思想に基づいたものだった。
曳山のフレーム部分。ここも後に可能な限り軽量化を測るため肉をそぎ落とすことになる
曳山のボディは木材とアルミの混合で製作。軽量化を意識した。ちょうちんを下げる部分に至っては、アルミ製のドア材を流用した。この辺りが、大きさの割には軽く作り込むことが出来た大きなポイントになっている。
製作過程の曳山(上)と、軽量化に取り組む関沢職人(下)
曳山にとって重要なのは装飾である。この装飾は写真を参考に行われたが、その手法は実物の写真を利用して採寸し、製作中の曳山の寸法にスケールダウンを行い、パソコンを使ってシールを作成し部品化する工程で進められた。これらの作業は、藤野、恵子が中心になって行われた。
装飾前の車輪(上)と、シールを貼り装飾後の車輪(下)
また、曳山を覆う化粧布は、恵子が全面的に担当した。自宅にあった着物や帯などを流用し、本物と見まがうほどの完成度でこだわりを見せた。
職人恵子の縫製作品
曳山にからくり人形は付き物である。したがって、今回の製作においてもからくり人形を作った。しかも電動で動くのである。首と手が動き、左手に持ったタイを持ち上げる動作を行うと言うこだわりようだった。この可動部分を担当したのは川村薫氏だった。本番では白い大ちょうちんのパイロットも務めた。まさに、知られざる職人たちの知恵と技術が結集して作り上げられたのが、今回の曳山なのである。
からくりを担当した川村(左)と、企画全体をプロデュースした藤野(右)
心を一つに・・・
曳山は、中心的役割を果たした職人たちと、クラブやスクールの多くの人々の手によって7月半ばに完成した。彼等職人たちのスカイフェスタにかける熱意と、それを取り巻く人々の心が一つになったことで成し得たのだ。プロジェクトは軌道に乗り、「優勝」の二文字に向けて大きく走り出そうとしていた・・・。
製作を手伝う人々
完成した曳山