突然の知らせで大変驚いています。
Team-C隊員の堀田淳さんが、9月6日にお亡くなりになられました。享年57歳。
堀田さんは通勤途中の車中で脳幹出血を発症し、病院に搬送されたものの亡くなってしまったとのことです。
そんな堀田さんとの思い出を振り返り、故人を偲びご冥福を祈りたいと思います。
堀田さんとの出会い
堀田さんが立山に来られたのは2004年頃だったと記憶しています。元々富山県の東砺波郡福野町(現在の南砺市福野)出身の堀田さんは、仕事の関係で他県に居住することが多かったと聞いています。
パラグライダーを始められたのも、確かパラフィールドだと伺った記憶があります。90年代初めころにパラグライダーを始められたので、キャリアとしては私よりも先輩になります。九州にも滞在されたことがあるそうで、富山に戻る直前には群馬県のグランボレで飛ばれていました。
富山県に戻られてからは立山エリアに来られるようになり、ハミングバードのクラブ員にもなっていただきました。ただ、正直なところ、私には当時の堀田さんのイメージがあまりありません。飛びでは決して目立つことはなく、むしろ変わったところで目立つような方でした。
2006年に参加した「獅子吼高原スカイフェスタ」で出し物とした戦国武将ですが、戦国時代の詳細な資料を提供してくれたのが堀田さんでした。また、同じく2008年の出し物であるTateyamaImplusでも、ブルーインパルスの詳細な資料を提供していただきました。
結構な凝り性で、ミリタリーオタクっぽいところが私と気の合う部分でもありました。
Team-Cへ参加のきっかけ
堀田さんのフライトはほとんどが、テイクオフしてから金山へ行き、サーマルソアリングするでもなくランディングに戻る・・・って言うのがほとんどでした。本人曰く
「機体が揺れるのでサーマルは怖い」
と何度も言っておられました。そんな折、私も一緒に飛ぶ機会があって、堀田さんの飛びについてアドバイスしたのがキッカケで、一緒に大会に参加したり新生Team-Cから隊員として参加してもらうようになりました。
2009年頃から、ほぼ毎年のように各地の大会へ参加するようになりました。堀田さんは目立つ飛びはしませんでしたが、堅実で無理をしないのが信条でした。時にはそんな飛びを消極的と思えた時もありましたが、それは堀田さんのポリシーだったのだろうと思います。結果には拘らず、それでいて
「反省します!」
とか
「訓練します!!」
と、よくデニーロで飲みながら話されていたのは、自分なりのパラグライダーを楽しんでおられたからなのでしょう。
大会の移動で車の運転には結構文句を言ったこともありましたが、それもある意味堀田さんのキャラクターとして心に残っています。堀田さんには申し訳ないけど、多分今後もネタとして使わせてもらおうと思います。
堀田さんとの思い出
手元にある写真をあれこれ探してみましたが、堀田さんの写っている写真は飛んでいるものよりも飲んでいるものの方が多かった気がします。それが堀田さんなのかもしれませんが。
これ以降は、懐かしい写真を掲載して故人を偲びたいと思います。
堀田さん、お疲れ様でした。天国にデニーロがあるかどうかはわかりませんが、ゆっくり好きなお酒を楽しんでください。
これまで、本当にありがとうございました。